とりとめのない話

ブログに書くような話ではないなぁと思いつつも、自らの気持ちを少し整理するつもりで書いてみる。


先週末にわんくま勉強会のustを見ていたら突然電話が来た。
私には姉がいるのだが、その姉からの電話だった。
内容的には、「母が倒れて救急車で運ばれた。危険らしい。」ということだった。
母は糖尿病を患っており、あまり体調が良くないらしいことは知っていた。
いつか、こういう日が来るだろうことは予期してはいたのだが、まさかこんな時期になるとは思ってもみなかった。


叔母が母に付き添って病院にいるという話を聞いていたので、叔母に状態を尋ねてみた。
血糖値と血液の酸性度がかなり高いということと、呼吸障害と意識障害を起こしていることは把握できた。
どうも糖尿病性のケトアシドーシスではないかなというのが、電話越しに話を聞いた時の私の認識だった。
結果として、この推測は間違っていなかった。
最悪のケースもあるかなと思ったものの、その晩の電話では血糖値はだいぶ下がってきているという話があり、
なんとか小康状態というところまではきたらしかった。
結局、一晩空けて病院に行ってみるとある程度回復しつつある母の姿があったのであった。


そこからまだ数日は、病院で付き添いをしたりなんだりというのがあったのだが、まぁそこは良いだろう。


この出来事で考えなければならないのは、今後もこうした事態が起きない保証はないということと、
糖尿病による合併症の危険性が大きくなりつつあるのだろうなということである。
私はこうした予見される現実の問題に対してどうするべきなのだろうか?


世間一般的には親の面倒くらいみろと言われるのではないだろうか?
私は親の人生なんて背負いたくないし、自分が親だったとしてそんなことはしたくないという考えの人間である。
しかし現実的な問題としてそうも言っていられないのではないかという部分もある。
もう少し時間がたち、自分の生活の基盤ができれば・・・という気もするが、将来がどうなるかは判らない。
さて、私はどうするべきなのだろうか。
次までに答えを見出すことができるだろうか?それだけの時間があるのだろうか?わからないことだらけである。