高専カンファに望むこと
この記事は2011/01/15に行われる「高専カンファレンスカンファレンス」に向けたものです。
「高専カンファレンスカンファレンス」の詳細については下記を参照してください。
kosenconfconf - 高専カンファレンス Wiki
!意見募集の宣伝!
高専カンファレンス実行委員会では、2011/01/15に行われる「高専カンファレンスカンファレンス」に向けて、
「高専カンファレンス」に対する意見を募集しております。
上記のリンク先ページから意見の投稿ができるようになっております。
また、本エントリーのようにブログによる意見の投稿も受け付けております。
ご意見をお持ちの方はお気軽に意見を投稿していただければと思います。
本記事では私の立場を明確にしたうえで、いくつかの側面から何が必要かを考えます。
また、最終的には「高専カンファレンス」とはなんぞ?という話をしたいと思います。
私の立場
- 私は高専を2004年に卒業しました。卒業してからもうすぐまる7年が経とうとしています。
- 高専カンファレンスとの出会いは2010年の春からなので、まだ1年は経っていません。
- 高専カンファレンス実行委員会(いわゆる本部的な委員会の方)には参加していません。
- 2010年12月18日に行われた「高専カンファレンス in 沼津」の実行員会の一員として活動しました。
といったところでしょうか。
あと挙げるとすれば、高専カンファレンス実行委員会を構成する何人かの人とは直接お話したことがありますということくらいだろうか。
高専カンファレンス実行委員会に望むこと
まずは高専カンファレンスの運営母体である「高専カンファレンス実行委員会」(地方開催の実行委員と区別するため、少々長いですがこの名称で以後表記します)についてです。
まず、前提として下記の事項をあげます。
- 高専カンファレンス実行委員会を構成する人はボランティアで活動をしています。
- 高専カンファレンス実行委員会の代表および副代表は現在のところ卒業生から構成されています。
- 高専カンファレンス実行委員会は非営利団体です。
つぎに高専カンファレンス実行委員会に私が望むことを挙げます。
現在できていることも含まれています。
- 高専カンファレンス全体の日程・人員・物資の調整を行う機能を有する。
- 高専カンファレンス全体に関する外部との窓口としての機能を有する。
- 高専カンファレンス全体に関する外部へのパブリッシングを行う。
- 地方開催の高専カンファレンス開催に対するアドバイス・サポートを行う。
- 地方開催の高専カンファレンス開催に必要なメールアドレスの発行などの手続きおよび機能を提供する。
- 地方も含めた高専カンファレンス全体の交流の場を提供する。
- 高専カンファレンスとしての短期のロードマップを提示する(今年はこんな感じでやりたいですね的なもの)。
私が思う問題点を挙げてみます。
- パブリッシングが弱い。(内輪でやっている感が強くなりすぎているように見える理由のひとつかも?)
- 高専カンファレンスの価値の提示がうまく出来ていない。(パブリッシングの問題?じゃないよね?)
- 組織運営体制が見えづらい。(知っている人以外は組織図も構成員もどうなってるかよくわからない)
- 高専カンファレンスの開催が増加し、コストを賄い切れなくなってきている。
- 高専カンファレンス実行委員会が負担しているコストに関する方向性を構成員以外が理解できていない。
とりあえず整理できたのだけでこのくらいはあるでしょうか。
高専カンファレンスの各地方開催の実行委員会に望むこと
まず「地方開催の実行委員会」に関する前提を述べておきます。
- 地方開催の実行委員会地方開催に関するほぼすべての決定権を持ちます。
- 地方開催の実行委員会を構成するのは主として現役学生・卒業生・教官などです(開催地方によって異なります)。
地方開催の実行委員会に望むことを挙げてみます。
- 余裕を持った開催の計画策定
- 会場の提供
- 発表者の確保
- 強いパブリッシングのための方法の検討
- レスポンスタイムの短縮
- 各地方の高専生への直接的にリーチし、高専カンファレンスを告知する
- 高専カンファレンス実行委員会への情報のフィードバック
- 他地方での開催時の近隣地方でのフォローアップ体制の構築
現状の問題点を挙げます
- 開催までの計画が危ういものが出始めている
- パブリッシングの強さと参加人数のバランスの調整が難しい
- 高専カンファレンス実行委員会よりも運営体制が見えにくい
- 自由裁量による自由と責任、および実行委員会の負担可能なコストのバランスが釣り合っていないケースがある
今後どうしていくべきか、自分が参加している沼津の実行委員会でも考えていかないといけないなぁと思っています。
例の騒動について
いくつかのポイントがあると思うので、拾えたものをいくつか挙げてみます。
また、私の思っていることも合わせて書いてみたいと思います。
ちなみに私は発表者を批判も擁護もするつもりは特にありません。
各自の発表には発表者本人が最大限の責任を持つべきだと考えているからです。
- 高専生として恥ずかしい
- 恥ずかしいと思う気持ちは自然なものなので良いと思います。私が理解できないのは「高専生」というレッテルを貼ることです。あの発表は発表者が作ったものなので、恥ずかしいのは「高専生」ではなく発表者です。
- 恥ずかしいものばかりだから意義がない
- 恥ずかしいものばかりでは決してありませんし、また恥ずかしいものだったとしても、受け取った人の中には意義は見出す人もいるのではないでしょうか?
- 頻度を落として発表の密度をあげる
- ひとつのやり方だと思います。
- 高専カンファレンスって何ですか?
- 「若い技術者の育成や交流を促進し、高専および科学技術分野の発展を目指す」ための勉強会&交流会です。公式には技術勉強会となっていますが、個人的には技術オンリーじゃない勉強会と認識しています。
- ただのOFF会
- 高専カンファレンスを通じてコミュニケーションを取るようになった人が増え、互いに既知の参加者が増えています。参加していない人からはOFF会であるように見えるというのもひとつの側面だと思います。そのこと自体は善でも悪でもないと思いますが。
- エンタテイメントならOKだけど勉強会だとNG
- 勉強会に求めるものは何でしょうか?ただ黙々と教科書を読み理論を学ぶことでしょうか?プレゼンテーションという形をとっているわけですから、そこにエンターテイメント的な性質を盛り込むのは自然なことだと思います。また、倫理上特に問題もありません。
- 部外者なので〜
- 部外者だから言えることもあります。積極的に発言されたら良いと思います。あと、「部外者なので」を言い飽きたら、是非参加者として発言されることをお勧めします。
- 一般人からみた高専生の評価
- 高専生の何の評価が下がるのですか?オタクだと思われるだけだと思うのですが、それが何の評価の低下につながるのでしょうか?オタクは社会的な評価が低いということでしょうか?
- 不特定多数が見から真面目に
- ネタを含んだ発表は不真面目なのですか?真面目に技術にもネタにも発表にも向き合っていると思うのですが?不特定多数が観るからこそ面白いものを提供したいと思うのは自然だと思います。
- 会場外から見えることも意識しろ
- 発表者はそのことを十分に理解していたのではないかと思います。スライドを見る限り、大きめのフォントで1行だけのスライドが多用されていたり、発表途中でのtwitterへのURLのpostしたりといったことが、そう判断する理由です。
- 「高専カンファレンス」という名称
- 名称を変える必要はないし、そのコストを負担できるほど余裕があるとも思えません。やるなら内容の制限でしょうが、それも現時点でやる必要があるのかと言えば、無いだろうというのが私の考えです。
- 発表内容の事前審査
- 地方開催の運営を経験した人間として言えるのは、「そのコストを負担できるほどの余裕はありません」です。また、現時点でそこまでのことをやる必要があるとも思っていません。
- 著作権の侵害
- 法的に侵害だと認められるのであれば問題です。認められるかどうかは門外漢なのでわかりませんが。高専カンファレンス全体としてこうした著作権に対する姿勢は提示する必要があると思います。個人的にはフェアユースという考えもあって良いと思っています。
とりあえずざっとこんな感じでしょうか。
私のスタンスとしては、前述した通りに「発表者が責任をもってやりたい発表を行う」です。
その中で「エンターテイメント」だったり「技術」だったりといった部分を混ぜ込んで、発表者それぞれの何かを生み出せば良いのではないかと思います。
あと今回の件については最後に「恥ずかしい」とか「迷惑がかかる」という意見の人は是非直接発表者本人に「俺(私)が恥ずかしい(迷惑がかかる)からやめろ」と伝えてください。
今回のようなことを今後防ごうとするのであれば、おそらくこれが最も良い方法だと思います。
高専カンファレンスとは?
私が思う高専カンファレンスとは、「窓」であるということです。
高専カンファレンス実行委員会が窓枠を作り、地方開催の実行委員が枠にはめる中身を作ります。
その窓を通して、参加者や発表者が外の世界を見ることができる。
自分の見たい世界の一部を、高専カンファレンスという窓を通して覗き見れる。
そんなものであって欲しいなと思っています。
高専カンファレンスという漠然として大きな何かではなく、世界を観るための手段・道具の一つなんだよということです。
そして、それを形作っている人達がいます。
そこには誰でも希望し実行する力があれば参加することができます。
窓から外を覗いたことがない人は、是非窓の外を見てください。
窓を一緒に作りたいなと思った人は、是非一緒に窓を作りましょう。